Posterous theme by Cory Watilo

得られないフリー

Android版のGmailは、元のメッセージを添付するにしても、しないにしても、はたまた部分引用するにしても、シンプルながら、スマートな操作感を実現してるのに対して、iOS版は、とても同じ会社が提供してるとは思えないレベル。おまけにリリースされてから、そこそこ時間が経ってるけど、変わる気配もない。
Google+もそうなんだけど、これはあえて力を入れてないと思われても仕方ないと思う。
みんなGoogleを礼賛しがちだけど、こういう「独占はしないけど、冷遇する」っていうのは、かつて忌み嫌われた時代のMSと根本は同じだよなぁと思う。
違うのはフリーミアムとデファクトスタンダードをうまく使ってるところ。
Appsにしても、GAにしても、無料のフリーが自由のフリーを奪ってる気がする。
ところで、これはPosterousの公式アプリで書いてみてるのですが、写真の位置ぐらい指定できればいいのになぁ

あけましておめでとうございます

なんか去年は、年末という感じがしなかった。

結局去年は、ずっと仕事が忙しくて、旅にもほとんど出なかったし、連休は潰し、それでいて結果があまり残らなかったので、ホントに失意の一年でした。

311の震災での失意と比べれば大したものではありませんが、いみじくも同僚が朝礼で言った「今年(去年)の漢字は【絆】だったが、個人的にも【亡】じゃないかと思う。来年(今年)は取り戻す年にしたい」というのが、僕にもしっくり来ました。

昨年は本当にスマートフォンの伸びがすさまじく、今のところ、まだまだという感じのタブレット市場も来年はかなり伸びていくと感じています。

そういったメディア・デバイスを使った色々な施策を昨年は練りたかったのですが、営業の求めに応じて仕事を回した結果、何も手を打つ時間がとれなかったし、その仕事もいまいち会社に利益を与えるものにはならなかったし、売上の規模も全然で、僕がやるほどのことだったかな、というレベルに終わってしまった。もっといえば、僕がやってしまったがために、「やらない」という決断が下せなかったのかもしれないと思います。

今年は、今の会社に属したままで、新しいブランドを立ち上げます。

なぜ属したままなのか。新しいブランドなのか。

それは、印刷業界を変えていきたいと思っているからです。

世の中の一般的な感覚は、印刷会社は印刷だけをしていると思っているでしょう。けれど印刷会社の多くは、紙に限らず、様々なことをしています。ウェブサイトもそうだし、スマートフォンアプリを作っている会社も少なからずあります。

しかし悲しいかな、世の中のイメージがそうなので、「スマートフォンアプリを作りたいから印刷会社に入る」という人は皆無です。ウェブサイトやシステムなど、どの分野でもそうでしょう。一部の例外は大日本印刷さんや凸版印刷さんです。

そのため、各社、数名の「できる」人が全部背負わされているのが現実です。

ここでいう「できる」は、色々な意味がありますが、割愛します(笑)

そこで、新しいブランドは、この開発力・制作力をアップできるアウトソーシング集団となります。

我々印刷会社はオンリーワンを狙って、エッジの立った戦略を展開するような業界ではありません。どちらかといえば、電気・ガス・水道のように、企業活動をする上で必要な紙という媒体を製造して提供しているという位置づけです。ですから、名刺や封筒から、分厚いカタログ、折り込みチラシ、様々な媒体をいかに低コストで提供するかが至上の課題となっています。

ウェブサイトやシステム、スマートフォンアプリも、同様に普及・流通が重要な時代です。ノウハウをシェアして、一つの仕組みからたくさんのソリューションを生み出すことが求められます。決して各社が各々で奮闘して何とかなるような次元ではありません。

そうしたノウハウのシェアと、技術力のアップ、対応キャパシティの拡大というのがテーマとなります。

そうして、もう一つはサービスプロバイダーになることです。

スマートフォンの普及で重要になってくるのは、ロケーション情報です。位置情報のコンテクストとして情報発信をすることが重要です。それは、単に大きなサービスをする会社が情報を発信するという形では意味がありません。それでいて、ソーシャルだけに依存するのも正しくないと思います。

例えば、僕は何度もバイクでツーリングして、食事をするところの情報を食べログなどで調べましたが、ほとんどは役に立ったと感じることはできませんでした。なぜかというと、自分が思ったことを書いてあるだけで、バイクで旅をしている自分に合ったコンテンツではなかったからです。ソーシャルだけで物事が解決できると考えたら、それはミスリードする危険性があると思っています。広告は広告としての価値があると思うのです。

印刷会社は地域の会社と密着して事業をしています。前述の通りです。

だから、どこか、例えばGoogleとかYahooとか楽天といった大きい会社がサービスを展開するのではなく、一つの仕組みを色々な会社が利用するエコシステムを構築することが、ユーザにとっても使いやすいのではないかと思っています。

この新しいブランドは、こうしたことを展開していきます。

1月からすぐに、というわけでもないのですが、パートナーさんとは急いで協議に入っていく必要があります。もし興味のある会社さんがあれば、お声かけ下さい(笑)

以前、ウェブサイト制作のパートナーさんと飲んでいたときに「僕らはサービスを作りたいんです。それまでは制作の仕事で食いつなごうと思っています」といった主旨のことをいわれたことがあります。

もしかしたら受け取った解釈が違うのかもしれない。でも、こういうのって、永続的なパートナーシップを期待する私たちからしたら、頼れない存在です。よくいえば「卒業します」。悪くいえば「踏み台にします」。

独立した会社は、その制作規模や実績によって、どんどん大きな仕事ができるようになるでしょう。そうしたら、小さな仕事が不釣り合いになって、単価を引き上げたり、お断りしないといけなくなってきます。

または大きな会社で実績を積んで、独立するケースなら最初から相応の報酬を得るかもしれません。でも、その会社には経験が浅い人が入れるかというと、そうでもないだろうと思います。

どこかで小さな安い仕事しか出せないクライアント、経験がなくて就業できない人たちを引き受ける「レイヤー」が必要です。

これはネガティブな考え方ではない。安かろう悪かろうでいいと言っているわけでも決してない。選民主義のようにやっていくのは、どこかで歪みが出てくるように思います。こうしたメディア産業が日本全国的に安定した産業として存在しうることも必要です。

最先端でなくてもいい、エッジが立ったクリエイティブも求めない。そういった層に対して、いい加減な仕事を安く納める。そんなことがあってはいけないと思うし、お金がないから自分でやる、というクライアントには違う形でサポートさせていただけることもあるんじゃないかと思う。それを印刷業界が引き受けられたら、と思うのです。

印刷業界の強みは、草の根の営業力だと思っています。毎日、打合せとかなくてもお客様のところに通うことは平気です(その善し悪しはともかく)。そこをしっかり見直して、新しい事業モデルを構築していくことは、もう今年中には絶対にやらないといけない。もう個々の案件に右往左往している状態じゃない。たかだか数百万の仕事のために、未来を失うようなことはしてはいけない。それが去年の反省です。

結果として、とっくの昔に山口に戻っているはずだったのが、未だに東京にいます。来年一年は東京にいるでしょう。それは、こういうことをやっていこうとしているからです。

本当にやれるかどうか、確固たる自信があるわけじゃありません。

でも、生き残るためにはこれしかない。そういう思いで、これに全力を注いでいこうと思っています。

Posterous復活

2009年の8月頃アカウントを設定したPosterousも、長いこと放置していた。久
しぶりに使って、「SPACE」とか出てきてるのにびっくりした。
ちょっとこっちを復活させようと思ったのは他でもない。
Google+はちょっとなー…と思って、Tumblrに切り替えたのだが、Tumblrは色々不
都合が出てきたので、別のもの…ということで、Posterousに矢が立った。
Tumblrと同時期に登録したこのPosterousも「バイクツーリングブログ」を書く
ために評価をしていた。結局の勝者はTumblrでメインブログが
http://triplog.tumblr.com/ になっている。
Tumblrユーザがこぞってやっているであろう「リブログ」とか全くおかまいなし
に、単に投稿しやすいブログとして使っていた。
不都合というのは、主には誤爆(笑)あとは、Tumblrでフォローしていただいて
も、triplogの方に紐付いてしまうので、フォローして頂いた人には逆に「なん
だこれ」という状態になっちゃいそうだった。 それでいて、一度設定したら、メインブログは切り替えができない。
ということで、バイクツーリングブログに戻そう、ということにした。
そうすると、今度は http://macchaka.com との棲み分けをどうしよう…と悩んだ。
そもそもブログじゃなくてGoogle+を使おうと思ったのは、気楽にかけて、140文
字で収まらない中途半端な量を書きたいときに使おうと思ったのが発端だった。
なので、もしかしたらほとんどないかもしれないけど、きちんと何かを書こうと
思ったらブログで、140文字以上のつぶやきとしてこっちを使おうと思った。
復活の儀なので眺めになってしまったけど、次からは短いと思う。
実はテストを兼ねているのは、申し訳ないと思っている(謎

スマホの電波が切迫してるというなら、まずやるべきと思うこと

スマホで電波が切迫していて、定額制が維持できないという流れが海外とかにあるけど、今のところ、国内では追従する気配はない。しかし、国内でも切迫しているのは同じで、数%のテザリングなどのユーザが回線を圧迫させているという話だったが、最近のソフトバンクのつながりにくさを考えると、どうもそれだけではないと思う。 僕は定額制が今のまま従量制に移行すること自体は賛成できないが、どこかで仕方ないかなと思うところもある。自分がヘビーユーザに入ってしまう可能性を払拭できないので、「平均的なユーザなら大丈夫ですよ」といわれても、どこが平均だか分からないから、正直、不安感はある。 例えば、ベライゾンの場合は、2G、5G、10Gと分かれているが、自分がどこに分布するのか分かりにくい上に、従量制ともなれば、「不用意にパケット通信をしてないか」と常に気にかけながら使わなければならなくなる。特にAndroidのように、バックグラウンドでアプリが動くとなれば、「不要にアプリを入れるのもやめよう」ということになるし、ウェブとアプリなら、アプリの方が使用パケットを抑えやすいので、ウェブアプリではなく、ネイティブアプリの方が評価されるかもしれない。個人的には「何でもウェブアプリ」というのは好きじゃないし、事実パケットが減るなら、無駄遣いを減らすという意味で理解はできる。今のキャッシュマニフェストは、まだアプリ用途に使うには使いにくい部分もあるので、じきに解決されるとは思うが時間はかかるかもしれない。 これではウェブの未来も暗い。 一方で、パケットを使うと簡単に定額料の上限にへばりつくスマホを、最低限の通話しかしない親に使わせるというのは怖くて出来ない。例えば、今、月の支払いが2,000円ぐらいで済んでいるとすれば、3,000円ぐらいでまとめたいところ。それ以上だと、「そこまでして使わなくてもいいよ」と消極的になりかねない。 そのあたりを考えつつ、じっと端末を見ると、まだまだできることはあるんじゃないの?という気がする。

  • 残りパケット量を電池ぐらい可視化する機能。 もうじき上限だからもう少し節約しようとか、もう超えちゃうから、思いっきり使っちゃおうとか、結果としていくらになるかじゃなく、ユーザに選択権がほしい。
  • 上限に達したら一旦停止ができる機能。 今は上限に達したら通信ができなかったり、速度が抑えられたりするらしいが、上位の料金に不意に移行しないように、そして、きちんと同意した上で上位の料金が払えるように、ユーザサイドで使えるリミッターがほしい。
  • Wi-Fiなどの通信経路を速度によってハンドシェイクする機能。 歩行移動でもWi-Fiは不安定になりやすいので、面倒でWi-Fiオフにしてる人も多いと思う。今のWi-Fiの仕組みだと、認証はやりにくいのは分かるのだが、ユーザに意識させるような機能では、面倒くさがられても仕方ない。

通信がつながりにくい、という観点から通信料の上限を緩めて、節約効果を期待するというのは仕方ないかなと思いつつ、単に収益性という観点であれば、僕はまだ違うんじゃないかと思う。 従量制は明らかに未来のためによくならない。 ウェブの発展は、通信網に接続する行為を意識しなくても済むようになった点が大きい。 2000年前後でも、まだ「ダイアルアップ」というものが多かった。インターネットを使うには、「今から使うぞ」という意識と操作が必要だった。 定額制じゃなくなったからといって、そういった「つなぐ儀式」は復活はしないが、「終了する儀式」は必要かもしれない。それでは、やっぱり「今から使うぞ」「今、使い終わったぞ」という意識を強調させてしまうことになりかねないなと思う。 ではどうやって収益を確保していくかといえば、やはり商取引かなと思う。 既に取り組まれているが、キャリアは、個人情報と料金収受をしっかりできる立場にあるので、そこを生かす方法はいくらでもあると思う。例えば、Paypalみたいなものがサービスを「ユーザ視点」で作れば、結構イケるんじゃないかと思っている。 ユーザ視点というのは、「ケータイサイト上で取引」という限られたスコープでビジネスを考えてはダメ、ということ。 例えば、決済ページに至ったら通信キャリアを選ぶ。そうしたら、ワンタイムのQRコードが生成される。それをケータイでスキャンすると、キャリアの通信網経由で認証をかけ、決済内容と同意は、ケータイで行う。 こんなのやろうと思えば、彼らの技術ならすぐできるだろうし、仮に通信網という認証の手段が取れないとしても、アプリ側でどうにでも処理できるはず。 ドコモやauといったキャリアは、iPhoneに負けた理由を未だに理解していないのかもしれない。やれることは、ゴロゴロ転がってる。

Flashが生き残ってほしい、ただ1つの理由

PC版のFlash Playerはまだ継続するというのに、モバイル版が開発中止になることで、Flashがなくなるのは時間の問題だ…といった風潮が見られることがとても残念だよ。 確かにAdobeは、最終的にFlashを消滅させかねないかもしれないね。だとしたら、かつて日本で最大のコミュニティだったニフティが、経営判断から単なるプロバイダに成り下がった後、mixiが最大コミュニティとして成長した皮肉なエピソードの再来になるかもしれない。僕はHTML5とは別のウェブ技術も必要だと思っているんだ。 Flashの地位は今のままであってほしいんだ。でないと、クロスプラットフォームでどんな環境でも同様に動かすという技術が、JavaとJavaアプレットしかなくなってしまうだろ。 Appleはアプリの配信はMac AppStoreを使うべきだと思ってるんだ。いいね、ぜひWindows版を作ってくれ。 Googleは、どんなブラウザでもどんな端末でもOK。でもできればAndroidで、できればChromeで、常にGoogleにログインした状態で、全てのメールやアクセス、やりとりする内容をデータマイニングしたがってる。 Microsoftは、残念ながらクロスプラットフォームとしてのSilverlightは放棄してしまった。 さて、どこを信用したらいい? HTML5はいいね。でも、ネイティブアプリを開発するための言語として、最適なんだろうか。 僕も、単純にウェブサイトに動きをつけたり(それが単なる見栄っ張りであるにせよ、ないにせよ)、動画を流すために、プラグインが必要で、JSからコントロールできない別々のコンポーネントであることは実にナンセンスだと思っている。だけど、現実世界で「生物多様性」の重要さが説かれているときに、ウェブの技術はHTML5だけでいいんだ、というのは少々窮屈じゃないかな。 Flashというとアニメーションや動画を連想する人が多いようだけど、Flex(Flash Builder)はとてもクールだと思っている。Flashである以上、いろいろとイケてない部分もあるだろう。クラッシュもするかもしれない。でも、Javaほど敷居を高くせずに、デザイナーが作れるswfを組み合わせたアプリケーションを作ることができる。悪くない選択だ。 Flexでは、MXMLというXMLからコンパイルして、swfを作り出す。あまりにもHTMLに似ているので、それならHTMLでいいじゃないかといいそうになる。でも違うんだな。HTMLが文書フォーマットがベースだから、1画面1ファイルが原則で、それをJSで中身のコンポーネントを動かしているのに対して、MXMLは1アプリに1MXMLなので、画面の概念はMXMLの中の一つの要素でしかない。 もちろんそれは原則であって、実際にはビデオにもあるようにビューは分けて作ることになるんだけど、HTMLがアプリ開発に最適化したフォーマットでないのは事実だ。そうでなければ、ドキュメントとしてのHTMLが機能しなくなる。その絶妙なバランスをとってこそのHTML5だろう。 エンジニアはフレームワークが好きだから、HTMLファイルなんて編集しなくてもいいようなフレームワークとIDEができるだろう。今の開発を取り巻く状況が、もっとも効率的だとは到底思えないから、そういう製品は開発してほしい。HTML5にも注力するというAdobeがどういう製品を作ってくるのか、楽しみにしている。 だけど、それを「タダで手に入らない」もとい「プロプライエタリ」を理由に拒絶するなら、開発効率のよい環境はなかなか手にすることはできないだろうと思う。

さて、強調しておきたいんだけど、僕はHTML5に懐疑的なのではない。今日日そんなことを言おうものなら針のむしろだろうし。むしろというなら「好きだ」と言える。トラディショナルなHTMLからは確実に別次元に進もうとしている。いいね。そういうの好きだよ。でも、HTML5の真価を発揮するのは、もっと先のような気がするのだ。
Flashを使わなければ…または、今までのブラウザではできなかったことができるようになる。それではユーザ体験そのものが変わるわけではない。

この映像のような世の中になれば、それは、今のウェブ体験の一部がURIのない世界が置き換わるということになる。今は「HTMLファイル」が必要だけど、ドキュメントを除けば、その存在は必要なくなるだろう。そして、今HTMLファイルを開くシチュエーションに相当するものは「ステート」になって、コンテクストとして様々な画面遷移や更新が行われる。どういった情報がコンテクストになり得るかは、Googleがやっているようなデータマイニングによって可能になってくるだろうし、そこにどういった「表示」を送り込むかということがビジネスの中心になっていくのだろうと思う。 こうして僕のブログに、自然にYouTubeの画像が組み込めるように。または、Facebookのアプリのように、ステートのコンテクストとしてのみ、ウェブアプリは存在を許されるようになるのかもしれない。その基幹技術はHTML5であることは間違いない。

そして、能動的に何か「アプリケーション」を使いたいとき…ゲームとか…には、Flash、いやAIRは悪くない選択だ。 どうか、生き残っていてはくれないだろうか。

 

iPhoneの写真で位置情報がついている危うさについておさらい

「iPhoneの写真でジオタグ(位置情報)が付いているせいで、犯罪に巻き込まれることがあるらしいが、大丈夫か」という話をされて、正直いまさら感はあるものの、意外と一般的ではないのかもしれないということで、説明用資料を作ってみることにしたよ。 iPhoneのジオタグは、Exifというデータ領域に保存される。ここには、日時はもちろん、撮影時の露出設定とか、どんなカメラで撮影したか。カメラが縦向きだったか横向きだったか。なんて情報も記録される。これは全部写真好きな人たちが後で参考にするために使うといって差し支えない。 iPhoneで撮影した写真も、様々な情報が含まれているので、iPhotoやPicasaなどで取り込むと、これを使って、後で振り返ることができる。取り込まなくても、iPhoneの「写真」やKoredokoといったアプリで、iPhone上でも確認できる。 これはとても便利な一方で危険性もはらんでいる。 冒頭に挙げたように、ブログにアップした画像にジオタグが載ってしまい、自宅で撮影した写真から、自宅の場所がばれたりするケースが顕著な例。 iPhoneでは、こうしたリスクを抑えるために、写真をメールで送ったりした場合は、このジオタグがカットされるようになっている。 ところが、Dropboxのような「ファイルそのものをやりとりするサービス」やiPhotoなどの写真管理ソフトは、画像データを加工するようには作られていない。こうした経路で伝わったファイルには、ジオタグが付いたままになっている。 例をあげよう。次の写真は、Dropbox経由でPCにファイルを送ったファイル。
Media_httpmacchakacom_kzcce
どうだい?うまそうな豚丼だろう? あ、そういう話じゃなかった。このファイルをドラッグでパソコンに落として画像をクリックするとオリジナルサイズで画像だけが表示されるので、その画像をダウンロードして、Exif情報を開いてみてほしい。Windows7ならプロパティにある「詳細」を開けば見られる。Macは…とりあえずiPhotoで(笑) ばっちり、次のように緯度経度が表示されていると思う。
Media_httpmacchakacom_ajhxn
面倒なのは、Photoshopなどで画像を加工して別名保存しても、この情報は削除されないことだ。撮影したオリジナルデータじゃないから大丈夫…と勝手に判断すると、危険なことが起こるかもしれない。そういうときは、「Web用に保存」で書き出せばOK。そうか「Web用」ってそういうことだったんだねww では、次の例。これは、Wordpressのアプリを経由してアップロードした場合。
Media_httpmacchakacom_cfajj
この通り、緯度経度は表示されない。
Media_httpmacchakacom_zphjg
このあたり、ジオタグをカットしてくれるかどうかはアプリの仕様次第ということになる。が、一般的にはジオタグを写真共有サービス上に展開したいときは、別の方法を使う。なぜなら、Exifから場所を見るためには面倒なプロセスを経なければならないから、サービスとしては落第点だよね。Foursquareなんかは、きちんとサービスの中で地図を表示する。 こうした理由もあって、基本的にはジオタグはカットされてアップするように実装されているはずだ。はずだけど、全てのアプリで安全です。という根拠はない。結局はケースバイケース。不安だったら、自宅じゃないところで撮影した写真で、一度テストしてみるしかないだろう。 というわけで、知っている人にとっては当たり前だったかもしれないけど、説明用に書きました。駆け足だったので、説明が適当なところもあるけど、ジオタグは写真を楽しくするテクノロジー(仕様)だと思う。できれば正しく理解して、楽しく利用してほしいなと思います。

矢野沙織さんの福島産問題に思う悲しい心情

ジャズサックス奏者の矢野沙織さん(24)が福島県産農作物についてブログに書いた内容が物議を醸し、謝罪する事態になった。 2011年10月13日付けで「非国民」というタイトルの記事を掲載した。 「放射能を含んでいる可能性のある作物の一切を口にはしたくない」   記事によると、少し前、沖縄県那覇市の国際通りで、物産展が開かれていた。夕飯の買い物をしようと、電話をしながら露天を見ていたら「福島物産展」のノボリが見えたので、思わず電話口で「あ、福島産だったわ」と言ってしまったのだという。 これに、店員の「おじさん」が「おい、ガキ、ちょっと待てや」と言ってきた。矢野さんも「あ、すみません。でも『福島産だった』と言っただけですよ。それにしてもガキっちゅう物言いは気に入らないんだけど。どうかした?」と反論。 すると、店員が「作った人の気持ちなんか解らないだろう」。再び矢野さんが「お百姓が可哀想だから一億総被爆をしないと非国民かい?そんな思考はまるで某大戦中だな」と言い放つと、店員はバケツを蹴飛ばしてどっかに行ってしまったという。 矢野さんは「放射能を含んでいる可能性のある作物の一切を口にはしたくない意志を持っている」のだそうで、福島県産米が出荷可能となったことについても 「『米からの放射性物質は検出されませんでした。』と。いや、正直それ嘘だろ、普通に」と書いていた。放射能の恐怖のため、東京出身にも関わらず5月に沖縄に移住したのだという。過去には「放射能恐怖は正義」とも書いている。

引用:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20111014/JCast_110049.html 放射能恐怖は正義というより、思いやりがないのは確か。自分がどう思うかは自由。「事実と違って風評被害だったら、喜んで謝る」っていくら「所謂底学歴な上この性質のせいで学もございません」(ブログより)でも、そういう問題じゃないよね、と思う。 今回の山形の旅で宿では福島の人と一緒になった。 宿のオーナーが「東京からのお客さんもいるけど、「高速で福島を走る間は、SAにも寄らず、ずっと窓を閉めてきました」っていうんだけど、ひどいよな」という話をしたのだけど、その福島の人は「いや、分かりますよ。実際に放射線数値は高いし、私たちだって嫌だから、週末はなるべく離れるようにしている。本当は子供のことを考えたら引っ越した方がいいというのは分かっているけど、仕事の都合で引っ越せない。完全に親の都合です。」 そう聞いた瞬間、涙が出そうになった。 「福島ナンバーだと、(東北以外のところへ行くのは)行きにくい。でも、東北には風評被害ってない。どこに行っても(温かく)受け入れてもらえる」 うろ覚えだが、そんなことを言っていて、本当に切ない思いをした。僕らが思うよりずっと、風評被害に対しては諦めを持っている。結局、自分たちですら、国や自治体の動きが遅いせいで安心して生活ができない。なのに、他の地域の人が安心できるはずがない。そんな話だった。 僕も無責任に「大丈夫だから食おうぜ」とはいわない。検査が不十分でした。検査に誤りがありました。食べた後では取り返しはつかない。「ただちに健康の被害はない」は「ただし、将来の健康被害は分からない」だから、安心しろという方が無理がある。だから実際に、矢野さんのようなトラブルも起きても、この非常時においては仕方ないと思う。とても悲しいけれど、自分の命を守り、自分の家族の命を守るのは動物の本能であるから、それを無にしろとは言えるはずがない。 でもそれを、同調してもらうが如くブログに書くというのは、風評被害に加担することになりはしないか。震災のとき、デマツイートが広まったことについて、「オレはRTしただけ。悪くはない」という言い訳が情けなく映ったように、彼女が「恐怖は正義だ」といわれても、同調する気にはなれない。 そもそも、謝ったからといって解決する問題ではない。サックスを捨て、農家に嫁ぐとか、野菜の売り子になる覚悟でも持っているなら別だが、そんな覚悟を持っているはずはない。新聞に謝罪広告を打つ覚悟すらないだろう。 残念ながら、恐怖は早く伝わるが、安心が伝わるのは遅いのだ。 必要なのは正しい情報だ。正しい情報が確認できなくても信じろとはいわない。けど、「福島産だからヤバイ。」というより、「一つずつ検査しましたって書けばいいのにねぇ。まだ不安で買えないよ」ぐらいなら、まだ理解できたのにな、と思う。 普通に身の回りには放射線があり、我々は常に被爆をしており、オゾン層が破壊されることによって宇宙からの放射線が増えることについては理解しているのだろうか。 本当に放射線が怖いというのなら、もっと勉強をして、勉強したことを分かりやすく書き、広め、地球環境を守っていくことの大切さと難しさを伝えてくれる人になればいいのになと思います。

スティーブ・ジョブズ逝去に際し、遺す言葉

今日は、どうも体調が悪いと思ったら、そうだったのか。ついにスティーブ・ジョブズが逝ってしまった。 スティーブの体調が悪いことはメディアを通じて知っていたし、つい先日、CEOを降りたニュースがセンセーショナルに扱われていたから、いつかこの日が来ることは分かっていた。しかし、あの日。まるでスティーブが死んでしまったかのように惜しみ、懐かしむ様子を見て、「待てよ、彼はまだ会長として残るじゃないか」と、心のなかでツッコミを入れた。 けれど、結果として彼らのほうが正しくなってしまった。スティーブは3度死んだ。そして、残念ながら、もう戻ってこない。 アップルストア銀座店に献花の山と聞いて、帰りに寄ることも考えたのだが、僕は寄らないことにした。本当に純然たる思いで、行きたいのかといえば、そうじゃない気がしたし、「スティーブ、今までありがとう」というのもなんか違う気がしたからだ。 僕の近くにスティーブはいなかったし、これからもいない。そこに大きな違いはない。 薄情だと言われそうだから、もう少し語らせてくれないか。 僕が初めてMacintoshに触れたのは、1993年のことだ。スティーブは追放の身で、NeXTというコンピュータを作っていたことを知った。当時のAppleは、System7(漢字トーク7)が出た頃で、僕は触れたのはSystem6だったけど、対するWindows3.1よりもずっとクールで、ずっと使い続けたくなるキュートさがあった。そして、QuickTimeやNewtonとか、先進性を感じる別格の存在だった。そりゃぁもう、Appleラヴで、車にもリンゴマークを貼ったし、Windowsなんて邪道だ!と目もくれなかった。 そんな気持ちになったきっかけとなったのは、ある事実を読んだからだ。 新しいMacintoshを買って、箱を開けたら、大きく「1」と書かれた袋が出てくる。「はじめにこれから開いてください」。当時、新しいパソコンを買うというのはとてもエキサイティングで、新しい車を買うとか、新しい洗濯機を買うとか、とにかく大枚をはたいて手に入れた喜びで、箱を開けるのは儀式のようなものだった。Appleはそれを理解した上で、迷わないように、焦らずに順番にやりましょうね…と案内してくれる。そのようなことが書かれていた。 確かに当時のPCは、「機械」を買っている感じだった。下手すれば今のようにOSなどついていない。自分でHDDを買って、何枚ものフロッピーディスクをさしてインストールするのだ。Windows3.0は14枚ぐらいあったと記憶している。 昔から「エクスペリエンスデザイン」を徹底しているのがAppleだった。その始祖がスティーブだということを知ったのはずっと後だった。とにかく、すばらしい天才だったが、会社を追われた。そんな認識だった。僕はNeXTも、すごくカッコいい!と思ったから、むしろNeXT ComputerのCEOとしての彼に興味は抱いていた。 その後、スティーブはAppleに復帰する。このときの感動といったらない。スティーブが…というより、NeXTがMacと一緒になって生き残っていくということに、喜びを感じていた。もっともその当時は、医者と印刷会社しかMacは買わないと言われているような時代だったので、信者と言われても仕方ないような時代。周りに共感してくれる人なんて、ほとんどいなかったけどね。 僕がスティーブそのものに共感を抱いたのは、彼がまだ暫定CEOの頃、フォーチュン誌に掲載されたインタビューで、ASCIIの1999年1月号に翻訳されて掲載された。 今、彼の人生を振り返るとしたら、有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチが参照されるだろう。僕も見たし、そこで初めて知ったこともいくつかあったけど、大切なことの多くはそのインタビュー記事でも語られていた。「ハングリーでいろ。バカでいろ。」は、この記事でも触れられていて、本当に彼を動かす大切な言葉だったんだなと感心した。 そのインタビュー記事の中に、スピーチでは語られていないことがいくつもあって、僕の中で名言集のオンパレードになっているのだが、その中でも強く印象に残っているものがある。
新製品を見抜く際に1つの問題があると思う。人々はまったく新しいアイデアに集中しすぎる。それが新規事業を興すための必要条件であるかのようにね。でも、ひょっとするとその方法は正しくないんだ。優れた製品の多くは実は以前の製品の延長上にあるのさ。
 
テクノロジーが難しいんじゃない。難しいのはどんな製品か?あるいは消費者は誰か?彼らはどうやってその製品を買うのか?彼らにどうやって伝えるのか?ということなんだ。だからアイディアとテクノロジーと製造に加えて良いマーケティングがなければ消費者をつかむことはできない。
当時はインターネットというもの自体が挑戦的で、懐疑的であった時代。まだADSLも全国的に普及しているような状態ではなかった時代。自然と「新しいものは、新しいテクノロジーによって生み出される」と、多くの人が思っていたと思う。そのときに読んだ彼の言葉は、すごく納得したし、開眼というか、本質に目を向けるきっかけになったように思う。 Appleといえば、Human Interface Guidelineとか、UIに関しての研究や実践がとても進んでいるという印象があるけれど、それ以前に、それを何のためにやるのかという明確なポリシーがあるからこそ、あれだけ力をいれることができるし、iPhoneといった新しいデバイスを生み出すこともできた。 昔から彼らがやってきたことは、僕たち(the rest of us)をどうやって幸せにするか、ということだったんじゃないかと確信している。 僕らは時代というバトンを受け取った。彼らがAppleを作ったとき、僕は1歳だった。彼は残念ながら56歳で人生を終えたが、少なくとも僕が同じ歳に至るまで20年ある。この20年という間に、どれだけのイノベーションが生まれてくるか、分かるかい? 「ありがとう、スティーブ」 それが、ちょっと違うなと感じるのは、彼が生きることができないこれからの時代。僕らが受け取ったバトン。それをどう生きるか。どうやって、自分が生きた証を刻むことができるのか。そして、次につなぐことができるのか。それはとてもとても大きな課題であり、それを成し遂げるためには、振り返ってる時間なんてない。 「がんばるよ、スティーブ」 僕なんぞやに何ができるかわからない。世界的な成功を収めるとは到底思えないね。でも、僕らはみんな、今の時代を継いだ者なんだ。どんな形であれ、どんなことであれ、次の時代へ継いでいかないといけない。それは僕たち人類が、もっとハッピーになるために。 インタビューの締めの言葉が、今、改めて僕の心に刻み込まれた。
人生は短く、人はみな遠からず死ぬ。これは真実だよね。
R.I.P. Steve Jobs

HTMLか否か、それが問題だ

この間、CSSniteの鷹野さんに「似非翻訳風いいじゃん」と言われたんだけど、これから書くことはGoogle+に書こうとして長くなっちゃった類のものなので、マジメに日本語なんだぜ。 ふと思い出して、Google+のHTMLソースを見てみたら、pタグなんて一つもない。ほとんどdivとspan。以前から「ウェブの未来は必ずしもhtmlベースじゃなくてもいいんじゃないか」と言っているんだけど、現実としてこういうコードを見ると、その思いが強くなる。 下手したらJSで動的にドカドカ生成するのに、文書のレギュレーションが合うのかどうか。 いや、そういうと怪訝な目で見られるんだけど、MXMLとか触れてると、全てを一つにするのが必ずしも正解なのかどうか、と思ったりする。車輪の再発明みたいなもんじゃないかとか。 Flashはやっても、Flexをやる人は結構分野が違うような感じがするけど、MXMLとか合理的だなぁと思った。 要は描画のために必要なHTML記述100%を、我々は100%指示しないといけないんだろうか、みたいな。 例えば、ウィンドウサイズに合わせてサイズを変えるテキストボックスがあったとして、我々が指示すべきは、ウィンドウサイズの変更を検知して、動的に変更するコードじゃなくて、「この右辺はウィンドウサイズと連動させてね」という属性一つなんじゃないかという。 もっというと、jQueryが必要なこと自体が欠陥なんじゃないの?と。無論、jQueryをdisったりするような無謀なことはしないぜ。例えPrototype.js出身でもな。むしろライブラリーは大好きだ。人の生活を豊かにしてくれる、人々の英知だよ。おっと、そういう話をしてるんじゃなかったな。 jQueryは、デファクトスタンダードではあるが、ISOで規格化されたものでもなんでもない。まぁライブラリであり、マッパーみたいなもんなので、規格化の必要性もないといえばないのかもしれないけど、CSS3で規格化されることで楽になったり、安心したりできる部分があるというのも体感していると思うんだよね。 ウェブドキュメントとウェブアプリケーションの境界なんて、あってないようなものだから、結果として一つでいいじゃんってことになるのかもしれないんだけど。 まぁ、そんなことを書いている僕は単にデスマ逃避なんだけどさ。 そして、blog化するにあたって書き足したところは、なぜか微妙に翻訳調なんだぜ。

Codaへのたった2つのリクエスト(ただし今のところ)

phpの勉強会に参加とかしてると、エンジニアの世界でもMacユーザが本当に増えてるなぁという感じはある。海外のプログラマとか、ハッカソンのビデオとかね。以前だったら、ドラマの中でしか見れなかったりしたもんだ。 僕はintelチップが載る前からMacユーザだし、それでいてWindowsもLinuxも使っている。 おっと、必要があるから使い分けているだけだから、オタクを見るような目で見るのはやめてくれ。 今もMacBookAirで快調に文章を書いている僕に言わせれば、Macはとても便利だ。MacというクールなOSの他に、Windowsも動くからね。困ることはない。それでいて、ハードウェアはとてもスマートだ。 けれど、僕は気づいてしまった。「なんてことだ、僕はMacでプログラムを書いてない」 エンジニアの人たちにどんどんMacが普及していて嬉しくなっているというのに、僕が全く書いてないんだ。ひどい日なんて、Windows OSを立ち上げるためのOSになっちゃってるよ。 これじゃクールじゃない。 そこで、最近の僕はMacを開発環境にすべく、色々なソフトを試してみたり、環境を整えたりしている。 その中で、評判が高いのが「Coda」というエディタだ。 通常ウェブサイトを作るときには、AdobeのDreamWeaverを使う。アプリケーションを開発するにはEclipseとかがいい。僕はNetbeansを使ってるけどね。これ以外は、マニア(悪い意味でなく)向けのVimだったり、Emacsだったり、そういうのを使ってる人もいるだろうけど、Macだとmi(ミミカキエディタ)とか、その辺が定番だったかな。 Codaは、簡単にいえばiPadじゃないけど、フルスペックIDEと、単機能テキストエディタの間を埋めるもの。テキストエディタでありながら、ウェブプレビューやCSSエディタ、ターミナル(WindowsでいうDOS窓)などに同じソフト上で使える。 まぁ、説明が下手な僕が色々いうよりも、公式サイトやググってもらった方がいいだろうけど、DreamWeaverやEclipseは、テキストエディタと比べると起動が遅いし、「サイト」や「プロジェクト」という単位でソフトウェアに設定登録する必要があって、それがちょっと編集したいというときにストレスが溜まる。Netbeansのエディタなんかはすごくよく出来ていて、開発のフローとしてはとても使いやすい。 それがちょっと、パパッと修正作業したいと思ったとき…例えば、実際にapacheが見に行くファイルを直して試してみたいときとか…Finderベースでやりたいと思った途端に、miレベルになるっていうのは自業自得だけど、快適ではないね。Windowsでも同じだよ。僕はサクラエディタを使ってるけど、色分けが助かるという以外のメリットをまだ見いだせてない。 さすがに「僕と契約して、開発効率を上げてよ」と迫られているだけのことはある。 僕はMacにおける、それを埋めるものとして、Codaに期待しているんだ。 これがあればDreamWeaverとかいらないよね、という気はさらさらない。そもそも、コードを書くときにはDreamWeaverはあんまり使ってないけどね。でも、NetbeansがHTMLエディタとしては不満があるので、Codaはうまく機能しそうで期待している。Netbeansにもライブプレビューはほしいときはあるよ。 さて、いろいろいじっていて、エンジニア的には不満はいろいろあるんだけど、取り急ぎ気になっている点は次のようなところ。 行単位の移動 これはEclipseとNetbeansのせいだ。こいつらは、ctrl+Shift+上下キー(Netbeansの場合)で今カーソルのある行を上下に移動したりコピーしたりできる。複数行選んでいれば、その行たちが移動してくれる。 ほとんどのエディタはこの機能を実装していないから、積んでいないことで責めることはできない。 でも、先を見通す力がなく、試行錯誤ばかりするダメプログラマの僕にはこの機能が欠かせないんだ。 ヘルプのショートカット一覧には載ってないけど、Command+Option+上下でコピーはできるじゃない。ついでに、移動もオマケしてくれないかな。 MySQLとの連携 ターミナルと同様に、MySQLサーバに接続して、SQLを投げたらレスポンスを返してくれるものがあるといいなぁ。 特にselectを投げたら、表の形で出てくれるとうれしい。 お願いだから、「ターミナルでやれば?」とか元も子もないことは言わないでくれ。 もっとも、MySQL workbenchがもっときちんと仕事をしてくれたら、必要ないかもしれないんだけどね。 これはIDEじゃないって? 確かにそうだね。でも、単なるエディタでもないんだろ? 追伸 インデントが、Command+[ ]なのは冴えてない。幸い、TabとShift+Tabでできるプラグインがあるから、不満な点に挙げるのはやめたけど、このプラグインがなければ、不採用だね。 追伸その2 今日の文章テーマは、海外のブログを日本語に訳した感じだよ。なんかくどいって? 大丈夫だよ。読んでるのは、世界中で君と僕だけだから。 追伸その3 もっと楽にブログを書きたいです(謎